2016年09月05日
毎朝、会ってた人
毎朝のことに
BSで連ドラを見て、そのあと関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅を見るのが日課だった。
今回、1か月かけてのイタリアの旅が終わった。
毎日、関口知宏さんと美しい風景や人情豊かな人たちとの交流を楽しんだ。
優しい時間だった。
その時間が終わると、ワタシもやっと、ごぞごぞと一日を始める。
BSで連ドラを見て、そのあと関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅を見るのが日課だった。
今回、1か月かけてのイタリアの旅が終わった。
毎日、関口知宏さんと美しい風景や人情豊かな人たちとの交流を楽しんだ。
優しい時間だった。
その時間が終わると、ワタシもやっと、ごぞごぞと一日を始める。
毎日、毎日、共に旅をしてるようで
関口知宏がとても身近く感じられて、好きになって行った。
人柄は自然体で飾らない感じを受ける。
特に歩き方・・・
手を振らず、ボソボソと歩くのよね。
これが親しみがあって、微笑ましい
でも、とても才能豊かなマルチな人
知性が感じられる。
それもそうね、父親が『サンデーモーニング』の司会者の関口宏で母親が西田佐知子だものね。
それにしても作曲したり、絵を描いたりとすごい人
イタリアの旅が終わり、最後にこんなのを書いてた。
関口知宏がとても身近く感じられて、好きになって行った。
人柄は自然体で飾らない感じを受ける。
特に歩き方・・・
手を振らず、ボソボソと歩くのよね。
これが親しみがあって、微笑ましい
でも、とても才能豊かなマルチな人
知性が感じられる。
それもそうね、父親が『サンデーモーニング』の司会者の関口宏で母親が西田佐知子だものね。
それにしても作曲したり、絵を描いたりとすごい人
イタリアの旅が終わり、最後にこんなのを書いてた。
筆で書いてたのが映ったけど
書もご覧の通り、上手
書もご覧の通り、上手


9月から顔が見られないのでさみしくなった。
続いてあるらしいから、楽しみに待つとしよう~
続いてあるらしいから、楽しみに待つとしよう~
Posted by かをる at 20:58│Comments(4)
│テレビ・新聞・本
この記事へのコメント
関口宏のお子さんですか 好男子ですね
宏の親は俳優の佐野周二で良く好きで見ました
宏さんは弟さんもその頃テレビにでていましたけれど
今は何していられるのかしら
知宏さんのお爺さんやおじさんを私は知っているのよね
宏の親は俳優の佐野周二で良く好きで見ました
宏さんは弟さんもその頃テレビにでていましたけれど
今は何していられるのかしら
知宏さんのお爺さんやおじさんを私は知っているのよね
Posted by 喜美 at 2016年09月06日 05:55
喜美さん、おはようございます。
佐野周二はワタシも何となく知ってます。
宏の弟と言う人は覚えがないです。
顔を見れば分かるでしょうか?
知宏は三世ですね。
西田佐知子の歌が好きですが
出てこないですね。
佐野周二はワタシも何となく知ってます。
宏の弟と言う人は覚えがないです。
顔を見れば分かるでしょうか?
知宏は三世ですね。
西田佐知子の歌が好きですが
出てこないですね。
Posted by かをる(郁)
at 2016年09月06日 09:39

おはようございます!
私もね、好きで記事にしたことがあります。
↓
http://itinennseinoenikki.blog.fc2.com/blog-entry-75.html
でも今回は始まってるのを知らずに一度しか見れてません。気合をいれてテレビの前に座ると猫ちゃんに変わっていました(@_@)
私は飛行機が苦手なので、ヨーロッパにはイタリアだけしか行ったことがなく、イタリアと聞いてよけい残念でした。
知性を感じさせながらも構えた所のない現地の方との会話に、一緒に旅してる感じになりますよね。
歩き方がチョコチョコで不思議ですね~(笑)
前回の記事、焼け跡に立つ母子の姿に胸うたれていました。
祖母・母も高松空襲で家を焼かれて、やっと会えた祖父も7日後に息を引き取り、二人で戦後を生きてきました。
祖母は空襲の話をなんども聞かせてくれましたが、
母からは一度も聞いたことがありません。
母にとっては話せないくらい辛い時代だったのだと、今はわかるような気がします。
私もね、好きで記事にしたことがあります。
↓
http://itinennseinoenikki.blog.fc2.com/blog-entry-75.html
でも今回は始まってるのを知らずに一度しか見れてません。気合をいれてテレビの前に座ると猫ちゃんに変わっていました(@_@)
私は飛行機が苦手なので、ヨーロッパにはイタリアだけしか行ったことがなく、イタリアと聞いてよけい残念でした。
知性を感じさせながらも構えた所のない現地の方との会話に、一緒に旅してる感じになりますよね。
歩き方がチョコチョコで不思議ですね~(笑)
前回の記事、焼け跡に立つ母子の姿に胸うたれていました。
祖母・母も高松空襲で家を焼かれて、やっと会えた祖父も7日後に息を引き取り、二人で戦後を生きてきました。
祖母は空襲の話をなんども聞かせてくれましたが、
母からは一度も聞いたことがありません。
母にとっては話せないくらい辛い時代だったのだと、今はわかるような気がします。
Posted by つくも at 2016年09月07日 09:22
つくもさん
こんにちは~
つくもさんと好きなことが似てるかな?
知宏さん、知的で自然体でいいですね!
イタリア鉄道の旅は終わちゃいました~
またあるそうですよ。
日本にいる時間が少ないでしょうね。
髙松空襲のことは時々聞かされますが
お母様、実際に空襲に会われたのですね。
それは恐怖だったでしょう。
お父様も亡くなられたのですから
お母様が口に出来なかったのは、空襲体験が
解決できてなかったのでしょうね。
世界では今もそんな状態の国があるかと思うと
悲しいです。
愚かな人間がいるのですね。
こんにちは~
つくもさんと好きなことが似てるかな?
知宏さん、知的で自然体でいいですね!
イタリア鉄道の旅は終わちゃいました~
またあるそうですよ。
日本にいる時間が少ないでしょうね。
髙松空襲のことは時々聞かされますが
お母様、実際に空襲に会われたのですね。
それは恐怖だったでしょう。
お父様も亡くなられたのですから
お母様が口に出来なかったのは、空襲体験が
解決できてなかったのでしょうね。
世界では今もそんな状態の国があるかと思うと
悲しいです。
愚かな人間がいるのですね。
Posted by かをる(郁)
at 2016年09月07日 17:40
