2013年10月06日

日本統治時代の寺『宝覚寺』




台湾2日目

朝起きると雨だったが、バスで台中へ着くころには雨はすっかりあがっていた。

常夏の国だけあってかなり蒸し暑い


まず最初に行ったのは、『宝覚寺』

日本統治時代に建てられた寺は戦後ことごとく壊されたが、唯一その当時のまま残されているのがこの宝覚寺

木造なので保護のため、コンクリ―トの建物で覆われていた。

昭和3年に建てられた臨済宗の寺






日本統治時代の寺『宝覚寺』









日本統治時代の寺『宝覚寺』










ここで一番有名なのが金の布袋さん(弥勒菩薩像)

「人生は思うようにいかずつらいもの、でも泣き顔を見せるより布袋さんのようににこにことして生きていこう、そうすれば幸せになる」

ということで大人気だそうだ。

高さは約30mで台湾では2番目の大きさだという。







日本統治時代の寺『宝覚寺』









そして、境内には戦争中に亡くなった日本人戦死者の霊を慰める慰霊碑があった。

後ろに見える黄色い建物は、約14000人の遺骨が納められている遺骨安置所

この地で命を落とした名もなき人たち

冥福を祈り心から手を合わさずにはおれなかった。








日本統治時代の寺『宝覚寺』










そして、ガイドのリンさんの説明によると

1990年に96歳になる有末精三が戦争中に台湾人に徴兵命令を出したということで、台湾で土下座をして謝罪したそうだ。

その時に建てた碑があった。





日本統治時代の寺『宝覚寺』







戦後処理をしたことで、台湾の人は日本人に対して敵意を持たない理由の一つになった。

・・・と言うことらしい?


しかし、ワタシは初めて聞く名だったので帰国して調べみると、この人に対してあまりよく書かれていないではないか!

その時代の背景により色々な見方が出来るから・・・






とても日本と関わりの深い寺だった。








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この記事へのコメント
え~かをるさん、又海外旅行行ってたのですね~
ホント羨ましい~~

パスポート忙しいですね~
私も後3年有効期限はあるけど、予定はありません(笑)

台湾には2時間40分で行けるのですね。
日本に対しても比較的好意的だと聞いた事ありますが…
そんな経緯があったのですね。

今回も私写真で楽しませてもらいますね!(^^)!
Posted by nene at 2013年10月07日 17:41
neneさん

こんばんは~
暑い日が続きます。
10月半ばでクーラーがいるなんて、どうなってるのかしら?

外国旅行は足の丈夫なうちと思って
頑張って行ってます。
Posted by かをる(郁)かをる(郁) at 2013年10月09日 22:20
 
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    コメント(2)