2013年10月22日
「千と千尋の神隠し」のモデルとなった町九份
今回の台湾の旅で楽しみの一つだったのが「千と千尋の神隠し」のモデルの町となったと言われている九份(キュウフン)の町に行くことだった。
九份は、どこか懐かしい雰囲気が残っているレトロな町だった。
狭い階段に赤い提灯がぶらさがり、その雰囲気が「千と千尋の神隠し」に出た町と似ている。

それにしても人が多かった。
九份の名前の由来は幾つかあるが、リンさんによると、9戸しか家がなかったことから来たらしい。
それほどさみしい寒村だったということ
今では台湾一と思えるほどの観光客の多さ
人を縫って歩いた感じだった。

階段を上っていくと両側には様々な店が並んでいる。
時間があれば1軒1軒ゆっくりと覗いてみたかった。


阿妹茶楼(あめおちゃ)
千と千尋の神隠しのモデルになったところで湯婆婆の屋敷と言われている。
九份の一番のナイススポット
この辺の雰囲気がなんとも言えずいい感じだった。


お面の店

人がいっぱい並んでいると思ったら、九份名物 の芋圓(芋のお餅)のお店
有名な阿柑姨芋圓だった。

どんな食べ物なのかな?
タロ芋と小麦粉を練って湯通したものらしい

これは、落花生のお店かな?

階段の最上階へ着く
九份小学校があった。

上からの眺め


商店を見ながら階段を下へと降りて
眺めが最高だからとリンさんにすすめられたコーヒーショップに入る。

テラスからの九份の景色


ウィキペギアから抜粋
九份の歴史
その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。
九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、当時の酒家(料理店)などの建物が多数残されている。
しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。
1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市』のロケ地となったことで九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多数の人々が九份を訪れ、また他のメディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に一時九份ブームが起こった。
Posted by かをる at 20:52│Comments(4)
│台湾
この記事へのコメント
かおるさん、おはようございます。
九份の町を紹介して下さり、ありがとう!
千と千尋の神隠しのモデルになったところで湯婆婆の屋敷
中には入らなかったのですか?雰囲気がある場所ですねぇ
二階の窓、提灯がイイですね・・・
九份の町を紹介して下さり、ありがとう!
千と千尋の神隠しのモデルになったところで湯婆婆の屋敷
中には入らなかったのですか?雰囲気がある場所ですねぇ
二階の窓、提灯がイイですね・・・
Posted by dorucasu at 2013年10月23日 07:54
侯孝賢監督の非情城市は、名作です。もし、ご覧になったことがなかったら、是非とも見てください。台湾のゴットファーザーです。
侯孝賢監督は、児童映画もたくさん撮っています。冬冬の夏休みという映画も素晴らしい!
侯孝賢監督は、児童映画もたくさん撮っています。冬冬の夏休みという映画も素晴らしい!
Posted by 冷汗 at 2013年10月23日 12:29
doruさん
こんばんは~
時間が限られていてゆっくりは出来なかったです。
とても残念でした。
でも、一応は歩きました。
ブログアップしてませんが、古い映画館があり、そこはゆっくり見ました。
人が少なければいいのですが・・・
そうもいきませんね。
こんばんは~
時間が限られていてゆっくりは出来なかったです。
とても残念でした。
でも、一応は歩きました。
ブログアップしてませんが、古い映画館があり、そこはゆっくり見ました。
人が少なければいいのですが・・・
そうもいきませんね。
Posted by かをる(郁)
at 2013年10月23日 21:03

冷汗さん
こんばんは~
コメントありがとうございました。
「非情城市」は、是非見たくなりました。
レンタルしてこなくちゃ~
レンタル店が遠いのがつらい(ー_ー)!!
こんばんは~
コメントありがとうございました。
「非情城市」は、是非見たくなりました。
レンタルしてこなくちゃ~
レンタル店が遠いのがつらい(ー_ー)!!
Posted by かをる(郁)
at 2013年10月23日 21:06
