2009年11月25日

マリーアントワネットの真実



パリ最後の日、ベルサイユ宮殿を見学した。



ベルサイユと言えば・・・この人


世界で一番贅沢の極みを尽くし

果ては、断頭台に消えて行った悲劇のフランス王妃マリーアントワネット



マリーアントワネットの真実







































現在では、彼女に対する悪評は、その殆どが中傷やデマだったということで

名誉回復がされているようだけれど・・・・


贅沢で無類の浪費家でギャンブル好きだったことは、事実らしい。

それが誇張されて流され、民衆の憎悪をかったらしい。




贅沢で美しい王妃の寝室

落ち着いて眠れるのかと・・・庶民は思うけど・・・。


マリーアントワネットの真実






















マリーアントワネットの真実






















ベッドの刺繍

マリーアントワネットの真実

























豪華絢爛な鏡の間

ルイ16世になる王太子とマリー・アントワネットの婚儀が行われた。


マリーアントワネットの真実








































マリーアントワネットの真実



































シャンゼリゼ大通りの西の端にあるコンコルド広場へバスで移動

最初は、ルイ15世広場という名前だったのが、革命広場になって、そして現在はコンコルド広場となっている。



マリーアントワネットの真実








その広場中央には、「ルイ16世やマリー・アントワネットがここで処刑された」と書かれたプレートがあった。


マリーアントワネットの真実
























 「危険な世界史」著者:中野京子より抜粋

 王妃の最後の手紙


『 1793年10月15日。明日はギロチン台へ上がる前夜。オーストリア・ハプスブルク家のマリア・アントニアとして生まれ、ル

イ16世妃マリー・アントワネットとなり、今や未亡人カペー(ブルボンの先祖カペー家に拠る)と呼ばれて貶(おとし)められる、3

7歳の白髪の彼女は、乏しいロウソクの炎ゆらめく下、義妹に宛てて遺書ともいうべき最後の手紙を書く。


 「妹よ、たった今、判決を受けたところです。不名誉な死ではありません。そのようなものは犯罪者が受けることで、わたしに

は、あなたの兄上と再会するようにとの判決でした。あの方と同じく罪なき身のわたしは(中略)良心の咎めを受けない人間がそ

うであるように、全く平静です。深く心残りなのは、子どもたちを置いてゆくことです」

 冷静に始まったこの手紙だが、書き進むにつれ、次第に心の動揺をあらわにしてゆく。

 「さようなら、善良でやさしい妹! この手紙があなたに届きますよう! わたしを忘れないでください! あなたと、そして可哀

そうな子どもたちを、心をこめて抱きしめます! 神よ、子どもたちを永遠に見捨てなければならないのは、なんと胸張り裂けるこ

とでしょう! さようなら、さようなら!」 (中野京子)』



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この記事へのコメント
贅沢三昧で豪華な装飾品で着飾っていたけど、心は孤独だったんでしょうね。

手紙・・なんだか胸が張り裂けそう。。。
Posted by ポラリス at 2009年11月25日 19:42
マリー・アントワネットは、最後まで孤独で親身になって考えてくれる人がいなかったのでしょうね……。
Posted by rieko♪ at 2009年11月25日 19:53
ポラリスちゃん

早コメありがとう♪

舌足らずでしょ。

もっと書きたかったけど・・・お腹空いたので止めました。

言いたかったこと、分かるかなあ~?
Posted by かを~る at 2009年11月25日 19:58
rieko♪ さま


回りのほとんどの者は、王妃を置いて、早くに亡命して逃げたらしい。

フェルセンが逃がそうとしたけど、つかまったようね。
Posted by かを~る at 2009年11月25日 20:04
可哀相だとは思いますが…
民衆の事を考えず贅沢三昧していたのに、反省の色が見えないのは残念ですね
庶民とは感覚(考え方)がズレてるのかしら…(~_~;)
そう思う私は冷たいのかな〜
Posted by みぃ at 2009年11月25日 20:59
ベルサイユ宮殿、マリー・アントワネット、鏡の間、フランス革命、
豪華絢爛で残酷な歴史の1ページを、かを~るさんのブログで見せてもらいました。
Posted by はな at 2009年11月25日 21:06
みぃさん

幼くして結婚をしたこと、周りによい助言者がいなかったのでしょうね。

フランスの気風があわなくて、満たされないところが浪費へと進んだのかな?

想像ですが・・・

でも、子どもを思うやさしい母親ではあったようですね。
Posted by かを~る at 2009年11月25日 21:22
はなさん

終わりよければすべてよし

と言います。

その点では、不幸な王妃ですね。
Posted by かを~る at 2009年11月25日 21:25
 
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マリーアントワネットの真実
    コメント(8)