2017年12月26日
30年前の手紙が今届く。
息子が小学5年生のときだった。
小学校が創立百周年となり
その記念行事として、30年後に出す予定の
タイムカプセルを埋めることになった。
PTAでも未来への手紙を募集したが、そう多く集まらず
ちょうど、その時に役員だったワタシ
埋めるときに、職員室で慌てて子どもたちに手紙を書いた。
それも走り書きで、表にムスメ宛、裏にムスコ宛
と言うようなざっとした手紙であった。
それが昭和62年の2月のことで
あれから、30年以上経ち、小学校も合併することになり
カプセルを掘り出したと友人が届けてくれた。
息子の作文と書はキレイに残っていたが
ワタシの子どもたちへの手紙は、ボロボロ
ほんの少し読める状態
小学校が創立百周年となり
その記念行事として、30年後に出す予定の
タイムカプセルを埋めることになった。
PTAでも未来への手紙を募集したが、そう多く集まらず
ちょうど、その時に役員だったワタシ
埋めるときに、職員室で慌てて子どもたちに手紙を書いた。
それも走り書きで、表にムスメ宛、裏にムスコ宛
と言うようなざっとした手紙であった。
それが昭和62年の2月のことで
あれから、30年以上経ち、小学校も合併することになり
カプセルを掘り出したと友人が届けてくれた。
息子の作文と書はキレイに残っていたが
ワタシの子どもたちへの手紙は、ボロボロ
ほんの少し読める状態
その当時のことが書いてあり
舅のことや納屋の新築についてなど懐かしく読んだ。
また、息子の作文「ぼくのゆめ」はきれいに残っていた。
小学5年の息子の夢は、働く両親を楽にしてあげたい等と
びっくりするような孝行なことが書いてあった(笑)
これは、今の息子に読まさなくては・・・と思ったのは当然
ワタシは、にんまりしているところ
息子はこれを読んで、どんなコメントをするか楽しみ!
舅のことや納屋の新築についてなど懐かしく読んだ。
また、息子の作文「ぼくのゆめ」はきれいに残っていた。
小学5年の息子の夢は、働く両親を楽にしてあげたい等と
びっくりするような孝行なことが書いてあった(笑)
これは、今の息子に読まさなくては・・・と思ったのは当然
ワタシは、にんまりしているところ
息子はこれを読んで、どんなコメントをするか楽しみ!
この小学校は、希望の党代表の玉木雄一郎さんの出身小学校でもある。
この時の玉木雄一郎さんは、すでに高校生
この時の玉木雄一郎さんは、すでに高校生
Posted by かをる at 14:07│Comments(2)
│日々のこと.
この記事へのコメント
懐かしかったでしょう
私は其れは しなかったから無いですけれど
娘の学校は毎日日記のようなこと書いていました
子供ですから家の事全部筒抜け
私は姑があったので働きまくっていたでしょうね
何時も留守番で可哀想とか書いてありました
友達のお母さんこぼしていました
何時も昼寝しているところに子供が帰るので
その通り書かれて其れが作文のようになり
皆に廻りました
私は其れは しなかったから無いですけれど
娘の学校は毎日日記のようなこと書いていました
子供ですから家の事全部筒抜け
私は姑があったので働きまくっていたでしょうね
何時も留守番で可哀想とか書いてありました
友達のお母さんこぼしていました
何時も昼寝しているところに子供が帰るので
その通り書かれて其れが作文のようになり
皆に廻りました
Posted by 喜美 at 2017年12月26日 14:51
喜美さん
子どもは思ったことをありのままですから
時に母親にとって恥ずかしいこともあり
残酷なのですが
喜美さんは、子どもさんが同情してくれていたのですね。
お母さんの御苦労が分かってたのですね。
ワタシも忘れましたが、親と同居で働いていたので
楽にしてあげたいと思ったのでしょうね。
ちょっとびっくりしました。
子どもは思ったことをありのままですから
時に母親にとって恥ずかしいこともあり
残酷なのですが
喜美さんは、子どもさんが同情してくれていたのですね。
お母さんの御苦労が分かってたのですね。
ワタシも忘れましたが、親と同居で働いていたので
楽にしてあげたいと思ったのでしょうね。
ちょっとびっくりしました。
Posted by かをる(郁)
at 2017年12月27日 15:18
