2016年10月15日

瀬戸芸で「大島」へと行った。

  


今日は、瀬戸芸で国立療養所大島青松園の大島へ行った。

瀬戸芸がなければきっと行く機会はなかった島

上陸してこえび隊のツアーガイドの説明を聞きながら

とても考えさせられた。


国の誤った政策によって、この大島で人生を強制隔離で過ごしてきた人たち

その想いは、いかばかりか・・・想像を絶する。


女木島に男木島、庵治も目の前に見えた。

それが、近くて遠いところ

どんな想いで眺めたのだろう


そういう事実があったということを、そして、二度とこういう過ちがないことを

ワタシたちは知らなければと思った。


ピーク時には740人の人が住んでいた。

現在は63人


そんなことは全く関係がないとばかり

瀬戸内海は、いつものごとく美しい




瀬戸芸で「大島」へと行った。






大島に行くには手続きがいる。

高松港旅客ターミナル1階にある高松港総合インフォメーションセンターに行き

整理券を貰い乗船、乗船代は無料


その代り、整理券を貰える時間が短いから要注意

ワタシは11時40分発で行ったが、11時から11時15分までの配布だった。

定員が決まっているから、少し早く行ったが、すでに何人もが並んでいた。


その時に復路の船の時間を聞かれて、帰りの船の時間を書いた乗船整理券を首から吊るす。

大島では、時間変更がきかないから、気を付けて・・・





瀬戸芸で「大島」へと行った。








高松港4番乗り場からチャーター船の高速船「からこと丸」に乗船して30分で到着



瀬戸芸で「大島」へと行った。








運転は、奥様がしていた。

女性運転は珍しい~



瀬戸芸で「大島」へと行った。








昨年までは官用船で渡っていたが、国からマッタがかかり

この秋はチャータ―船になったそうだ。

官用船「まつかぜ」が大島港で停泊中だった。



瀬戸芸で「大島」へと行った。








後ろのチャーター船と比べたら、やっぱり大きい



瀬戸芸で「大島」へと行った。







大島に上陸

思ってたより大きな島



瀬戸芸で「大島」へと行った。








こえび隊のガイドより、注意事項と大島の歴史について話があり

まず、案内されたのは納骨堂

1,500人の人がここに眠っている。


参加者全員で祈った。

ワタシもここに眠る人たちの心情を思い、心から手を合わせ祈った。



瀬戸芸で「大島」へと行った。







島からの絶景ポイントだそうだ。

見える屋根は、合同浴場



瀬戸芸で「大島」へと行った。







厚生会館


瀬戸芸で「大島」へと行った。







食事処は、こえび隊員がしているカフェ「シヨル」

讃岐弁の「ooしよる」・・・・から命名したんだって!


時間がなくてランチは食べられなかった。

ランチを食べようと思えば、船の時間を考えて、滞在時間を長くすればいい

可愛い子が居たから、食べてあげたかった~笑



瀬戸芸で「大島」へと行った。







瀬戸芸で「大島」へと行った。







おいしそうな手作り菓子を購入


瀬戸芸で「大島」へと行った。


瀬戸芸で「大島」へと行った。







90分の滞在時間

少し短くて、ざーっと見て歩いた感じ

作品はまた、次回紹介


瀬戸芸で「大島」へと行った。








こえび隊の人たちが見送ってくれた。

いつも思うが、ボランティアの人に頭が下がる。


瀬戸芸で「大島」へと行った。








帰りは、小さな船の方に乗ってみた。

風が気持ち良くて、快適そのもの



瀬戸芸で「大島」へと行った。








屋島がこんな形で見えた。


瀬戸芸で「大島」へと行った。








今回、行って良かったと思う。

漠然としていたハンセン病や大島青松園について、少し気づいた気がする。

ハンセン病の正しい理解の為にも、多くの人に行ってほしい。











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この記事へのコメント
えっ。今日の2便目ですよね。
同じ便・整理券が3番だったので、私は行きも帰りも小さい船の船内でした。
カフェシヨル。私は速攻でガイド終わりに秋作品を見て着席したのですが・・・
ランチは今回、用意してないんですよ。ドリンク数種類とスイーツ3種のみ。
2013の時はランチがあったんですが店内いっぱいで作品鑑賞しかできず、今回楽しみにしていたんですが・・・
それでも、梅ソーダと かをるさんが撮ってる梅のお菓子は 大島産のようですよ。コーヒーはプシプシーナ珈琲でした(^O^)/
帰りを次の便にしたら「風の舞」まで見学してゆっくりできますよ。前回の2013より滞在時間が短いようです。
Posted by はんな at 2016年10月15日 21:39
はんなさん、コメントありがとうございます。

まあ~いっしょでしたか
行きに小さな船に乗ったのは4人でしたね。
その中のお一人だったのね??
すれ違ってますね!
ワタシは赤い帽子かぶってました。

「シヨル」、ランチはないの?
てっきりあるのかと・・・(*_*)
帰る便は、15時と迷って、13時のにしたけど
遅い便にすればよかったね!と話しながら帰ってきました。

ちょっと短かくて走りでしたね!
Posted by かをる(郁)かをる(郁) at 2016年10月15日 22:39
おはようございます

いつか大島には行きたいと思っています。
映画「砂の器」なんどみても、父子が遍路姿で歩く場面が近づくだけで号泣していました。
昔は遺伝性と考えられ、迫害にあっていたのですよね。

ハンセン病の治療が確立してからも帰る家がなかったと聞いています。
患者さんの無念を思うと、胸が痛いです。

レポートありがとうございました
Posted by つくも at 2016年10月16日 10:35
つくもさん

おはようございます。

『砂の器」はワタシも二度見ましたが
松本清張が『砂の器』を書いた時代は、まだ偏見の時代
清張自身も偏見の上で書いた気がします。
今、書くとすれば清張さん、違った書き方になるのだろうか?
なんて、考えてしまいます。

今は大島、気軽く行けますよ。
瀬戸芸が終了しても月一度、何週目かの土日が行けるようです。
Posted by かをる(郁)かをる(郁) at 2016年10月16日 11:09
 
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瀬戸芸で「大島」へと行った。
    コメント(4)